
日本でフィレンツェ・ドゥオーモの落書きが大きな話題になっているらしいですね。
僕も日本で報道されていたのは知っていたのですが、あまりにも「報道」が低レベルなのでブログには書かないでおきました。
はっきり言うと、落書きで停学にするとか、監督を解任するとか、やりすぎです。
日本人はものごとの重みのバランスが取れていないと思います。落書きは浅はかな行為ですが、口頭注意で十分です。
イタリア人の友達もこう言います。
「日本人は最も行儀のいい旅行者だよ。見てごらん、いたるところに落書きがあるから。そのほとんどが欧米人旅行者とイタリア人の落書きだ。
日本人の礼儀正しさは尊敬に値する、でも、自分たちに厳しすぎるなぁ・・・」
数年前にフィレンツェのシニョリア広場にあるネプチューン像が、イタリア人の若者によってダメージを受けました。深夜、酔っぱらった二人組が像によじ登り、大理石像の右手を壊してしまったのです。防犯カメラの映像からすぐに犯人が割り出されたのですが、その時に一部のイタリア人から
「公共の物、町の遺産を壊したのだから禁固刑にして厳重に処罰するべき」
という声があがりました。
もちろん多くの人は反対。形あるものは壊れる、酌量の余地をあたえ、若者たちの今後に期待しようではないか・・・と。
日本人は少なくともイタリアにおいて最も行儀がよく、礼儀正しく、そして素直です。カフェを飲んで「グラツィエ」、ゴミをゴミ箱に捨てる、列にきちんと並ぶ、美術館では大声で話さない、当たり前のことですが、できない旅行者がいかに多いか・・・つい先日、もっとも優良な旅行者に日本人が選ばれたのが理解できます。
過剰な報道に流されず、自身の尺度をもって世の中を見れるようになりたいものです。僕も日頃から、物事をよく考え、人の意見に耳を傾け、自分の中の基準を作れるよう少しずつ努力しています。ハイ。








落書き事件・・
落書きは、あまりに日常的な事ですが(特にイタリアにとって)厳密には 違法行為です。
今回の落書き事件の発端になった落書きの写真を見ましたが、他にも 日本人の名前の落書きが散見されました。
しかし、他の名前だけの落書きは 落書きを書いた本人が馬鹿をさらしているだけですが、停学になった学生さんの落書きには 学校名も記されていた為 落書きの犯人が特定され、結果的に学校の名誉を穢しました。
”名誉を穢された学校”としては 学生に処罰を与えるのは 順当だと思います。
野球部の監督を解任された方も、教員 指導者という立場です。それなのに たかが落書きと言えども 犯罪行為を犯した訳です。
一部の野球部員の喫煙問題などで 今までどれだけの球児が連帯責任をとらされ 涙を飲んだか・・
もちろん 学校的でも問題を起こした生徒を停学などの処分をしていた事でしょう。
教員をクビにするのはやり過ぎだとは思いますが、監督の解任は 生徒への停学処分などと比較しても同等で、公平なものだと思います。
と 言いつつ、イタリアの大掛かりな落書きは 日本の落書きと一味違って芸術的だな〜 画家の卵の画廊へのプロモーション活動かしら!?と 感心しています。
お国柄ですね。
初めてコメントします。
先ほどテレビで『日本人の落書き事件に対する処分は(イタリア的に)厳しすぎ!』という報道見ました。
私個人としては落書きした奴は本っ当にバカだと思ってます。
ただでさえ現代学生のモラルの質が低下した、と感じているのに、いい加減にしてくれって感じです。
同じ学生として恥ずかしいです。
それに、異国の地で日本人全体の品位を汚した訳だし、処分は妥当な厳しさかな。
うーん、イタリア人の価値観は緩いというか寛大というか…とりあえず驚きました。
> まんまるさんへ
僕個人としては、まず落書きの中に学校名が入っていたということで「学校の名誉を穢された」と反応するのが、すでに過剰反応な気がするのです。落書き程度で名誉は穢されないと思うのですが・・・穢されるとしたらその程度の学校だったということです。
法律上は犯罪であるから罰するのは仕方ないのかも知れないけど、見せしめのようにするのはどうかな、と思います(←これぬるい考えなのは重々承知なのですが、僕はこう思うので・・・)。
例えば野球部員の喫煙で、甲子園辞退というのも、僕にはやり過ぎです。一人のせいで皆が悔しい思いをするのはあまり好きではないなぁ〜。なんか吊るし上げてる気がします。
監督の解任も生徒の停学から見れば妥当かも知れないですが、僕には生徒の停学が過剰なので、監督の解任も過剰に映ります。。。
僕の意見は日本では少数派だと思うのですが、でも日本人のイジメに近い報道と、イジメに近い国民の反応はちょっと「怖く」感じます。
> ハマさんへ
落書きをしたことによって「異国の地で日本人全体の品位を汚した」と思うのがちょっと「真面目すぎ」というか、日本人固有の「潔白さ」の現れだと感じます。日本人の品位って、そう簡単には壊れないほど、外国には広く浸透していると思います。外国人もバカではないので、日本人の慎み深さ、日本人の礼儀正しさを十分に理解して、「あ、こんなマヌケな日本人もいるんだな」くらいの大人な反応をしていると思います(思いたいです)。←この考えもヌルイのか・・・
いつも楽しく読んでます(^−^)
私はあまりTVを見ていないので、どのくらい過熱報道されているのか分りませんが…
個から考えるお国柄と、公共から考え始めるお国柄の違いなのかな?
なんて思いました。
個も公共も、どちらも必要なことですし、どちらの文化が正しいかという測り方をするものでもないけれど、現代、なんだかどちらも均衡を崩している気がします。
日本人だから、、、とかというよりも、世界的な誇りのひとつである建造物に落書きをした人物そのものへの批判、としたいところですね。個人的には。
ちなみにナポリの新聞のイメージ写真には、”イメージフォト・日本人観光客と落書きの一部”みたいなことが書いてありましたが、この写真の落書きは”韓国語”でした。これには思わず、あきれ返りますが。。。
この新聞、持ち帰らなかったのを悔やみます。。。
つよしさんのおっしゃる事は 尤もで、実は私も内心 つよしさんと同じ事を思っています。
物事 景気だって不況好況が順番で来るように、今 日本では、ゆとり教育が見直されて 詰め込み教育まではいかないまでも それなりに勉強の量を多くするように 揺れ戻しが来ています。
ちょっと 近ごろ 個人対集団の個人に 重きを置きすぎる風潮になっていたから、日本人お得意の集団の和を尊重するように揺れ戻しがきたのではないでしょうか?
歴史や世界を見回すと、戦後飛躍的に復興したのは なぜか敗戦国のドイツと日本。両国とも『几帳面』と ともすれば揶揄される位の気質の国民です。
アメリカにしたって こんな言い方はしたくないですが、国を牛耳っている階層は ストイックな程 厳格な思想を持っていたりします。
ちょっと息苦しい位の方が、結果的に 総合的には豊かな生活が出来るのではないかと この頃思うようになりました。(何をもって”豊か”と考えるかにもよりますが)
先日 新幹線に落書きをされましたが、JRは新幹線を運休してまで 落書きされた列車を走らせませんでした。
一度 落書き列車を走らせたら、直ぐに イタリア国鉄と同様の事態になってしまうという判断だと思います。
また、残念の事に 大きな事故や事件で、誰かが亡くなったり 大きな被害を受けないと 対策はとられないので、今回の落書き騒動や 今までも何か問題が起きた時の当事者は ある程度 見せしめの材料にされた事は 否定出来ないと思います。
でも この一連の落書き騒動で 落書きなどの 日常的で犯罪のうちに入らないと思われがちな行為に対する考え方が 少し変わってくればいいなと思っています。
現在の日本&日本人への評価は 先人達が培った物であって、今後の評価は これからの日本人が作っていくものです。
私も イタリアのホテルのベルボーイのおじさんに「日本人か?」と聞かれ そうだと答えると「日本人は良いよ〜」って言われた時は、嬉しかったですが、反面 このホテルでは良い子にしていないと不味いぞ!!って思いました。
20年30年後の日本人への評価も 現在同様良いものである為に、我々のDNAに刻み込まれている 几帳面で 集団の中の自分の位置を常に気にして、『他人様にご迷惑をおかけしない』をモットーとする日本人気質は、大切にしようではありませんか。
なんて、日頃 思っている事を この場を借りて書いてしまいました。
御静”読”感謝いたします。
私もつよしさんと同じ意見です。
監督解任は少し厳しすぎじゃないかと思います。なんだか、スキャンダルを恐れた学校側が過剰反応したような感じがしてしまいます。
確かに守るべき世界遺産に落書きしたことは恥ずべきことだし、反省してしかるべきだと思います。罰するのも必要なのかもしれません。
でも、厳しい罰を下す前に考えなきゃいけないこともあると思うんです。
日本人って「旅の恥はかき捨て」なんて言って、日本の観光地でも落書きをしてる人が結構いますよね。たぶん、落書きが悪いことだって思ってない人もたくさんいるんでしょう。そうでなければ、人物が特定できるような情報を書き込むはずがありません。
私は落書きはしませんし、世界遺産や重要文化財などに落書きしてはいけないということは”常識”だと思ってます。でも、その常識が社会全体に浸透していないのでは?と思ってしまうこともあります。
常識って、親が子供に、学校が生徒に、社会が個人に教えていくものですよね。きちんと、「世界遺産や文化財は守るべき大切なもの、落書きなんてもってのほか」って教えていくようにしないと、いくら罰を厳しくしても同じことがおきるのでは?と思います。
でも、今回の報道で落書きが悪いことだって気がついた人もいるんじゃないでしょうか?(日本中に「落書きが見つかるかも!」ってヒヤヒヤしている人、結構いるんじゃないかと私は思ってます。)だとしたら、この報道も意味があったのではないかと思います。
外国でも日本でも、世界遺産や文化財は大切にしたいですね!
私もハマさんに近い意見を持っています。
出来心でやってしまったんだろう、後になって事の重大さに気づいたのであろうことはわかるのですが、文化を尊重できないのは恥ずかしいことでは、と思うんです。(あくまでも、私は、ということで。)
人の国の文化を大事にできない人は、おそらく自分の国の文化も大事にできないのではないかなあ、と。それは、大げさにとらえると(?)自分のバックグラウンドの否定につながるかもしれないな、とも思います。
今 海外滞在中なのですが、このニュースを知ったときは恥ずかしくなりました。
うーーーん、難しいですね。僕はそこまで大層なものでもないと思います。
それよりもいかに人間を育てるかが重要に思うのです。
一応念のために繰り返しますが、僕は落書きを取るに足らない行為、とは思ってなく、十分に反省すべき行為です。ただ「学校」の停学等の処分が過剰反応かと思います。学校が社会の批判を恐れて、罰を重くしたように感じました。
では、僕が思う「学校側」の最良の解決策はなんだったかと言うと・・・
「生徒たちは名前などを公表され、十分に社会制裁を受けたのであるから、学校では口頭にて厳重注意にとどめたいと思います。教育者である私たちを減給処分として、今後学校をあげて奉仕活動に力を入れて行きたいと思います」
これぐらいのことを言ったら、僕的には、「お、この学校やるなぁ〜」と思うのですが。
よく、厳罰を与えないと反省しないといいますが、今回の問題はかなり大きくなったので、逆に温かく見守ることが彼らの成長を助けると思います。
目的は彼らに罰を与えることでなく、彼ら自らが反省して立派な大人に成長することだと思うのです。
TSUYOSHIさんの主張も、それに批判的にコメントの方も、どちらの意見も理解できます。
日本人の海外での行為を知り、同じ日本人として「許されない行為だ」と感じる日本人と、ご当地のイタリア人の反応はまるで違って当然でしょう。
それが『お国柄』であり、文化なのですから。
日本には古来から「恥の文化」が存在します。
親から、他人に迷惑を掛けてはいけない、人から後ろ指を指される行為をしてはならない、それは人として恥ずかしいことだ。ほとんどの日本人はそういうしつけを受けて育ってきています。
だからどちらがより正当か、世界標準の感覚か、などという議論は無意味な気がしますね。
たしかに、文化の違う国では世界標準がどこにあるか語るのは、結論のない議論だと思います。Kentaさんは個人的にどう思っているんでしょうか。
僕は個人意見は違うのが当たり前だと思っていて、でもそれをぶつけ合うのが重要だと思っています。
ああ、すいません。
仕事柄、個人的な主張を文章の全面に出すのを抑えるクセがあるようです。
読み返して見ると、確かに傍観の感想にすぎず持論がなかったですね、失礼しました(笑
個人的には、やや「日本人寄り」な意見ですかねー。
国内でも多々ありますが、歴史的文化遺産を汚したり、自然がつくった美を台無しにするなど、文化財への心ない行為は許し難い。
そういえば、昨年は名古屋大学の学生が鳥取砂丘に巨大落書きをして問題になりました。若者のモラルの低下だと社会的にかなり批判も浴びました。
解任された監督はお気の毒だと思います。なかなか実績のある監督さんだったらしいですし、生徒たちの信頼も厚くもったいないです。
社会的な制裁も十分受けたのですから、厳重注意で済ませるべきだったと思います。
いつものことですが、マスコミによる集団イジメ合戦が、学校側の下す処分の判断に影響を与えたのかもしれません。
新婚旅行で奥さんと訪れた異国の地、そこで「記念に一言いかが」と油性ペンを渡された。
すでに記念の落書きで埋め尽くされているのだから、躊躇せずに自分たちの名前を書き、ハートで囲んでもなんら不思議ではないでしょう。
しかし、これは一例です。
寛大な措置で例外を認めるより、ダメなものはダメだとはっきりさせることは大事です。
小さな罪が大きな犯罪に結びつきます。
ゴミだらけの場所に、人は平気でゴミを捨てるようになる。
落書きは地域の秩序を乱し、放置すれば書いた者の罪悪感も薄らぐ。
そんな地域では軽犯罪が起こりやすくなり、やがて町の治安は失われていくと考えます。
イタリア人から見ると、日本人はさぞかし生真面目気質な国民であることでしょう。
気持ち悪いぐらいに。
やっぱ国民性の違いでしょうかねえ、民族性というか。
お返事ありがとうございます。
まさか、私のコメントを見てくださるとは思っていなかったので、お返事いただいて嬉しいです。
僕も文化遺産や自然を汚す、壊す行為はかなり嫌悪感を持ちます。そしてその感情は、真面目で文化レベルの高い日本人はより強く持っていることでしょう。僕もその一人です。
話は逸れますが・・・、僕はタバコを吸うのですがいつも「携帯灰皿」を持ち歩いています。日本人にはごく当たり前のことでしょうが、イタリア人には驚かれ、感心されたり、笑われたりするんですね。日本では当たり前、外国では奇異な行為と、やっぱり環境の違いを感じます。
僕は「割れ窓理論」はあまり信じていないのですが、でもKentaさんが書かれたように小さな秩序を守ることは大切だと思います。そしてそれは小さなコミュニティの中で支え合うものだと思います。本来は、家族、ご近所、町内会、そういった小さな枠の中でモラルを学ぶんでしょうね。
子供の頃って小さな悪さをたくさんすると思うのですが、そんなときに「コラッ」って怒る大人たちが近くにいると、その子は分別のついた立派な青年になると思います。でも最近は他人から怒られたことのない子供が多くて、やっぱりモラルが低下しているんだと思います。その彼らに、急に「罰則」を与えるのは「ずるい」と思うのです。今まで叱ったこともなく、キチンと教育もしてこなかった社会が、急に20歳になったから「自覚が足りない」と言っても、なんだかこちら側の自分勝手な言い分に聞こえてしまうのです。
個人的には、相手が大学生でも「罰する」よりも「叱る」方がいいかな、と甘い考えに落ち着いてしまうんですね(重犯罪などはもちろん話が違いますが・・・)。
正直書きますと、僕は今イタリアに住んでいるので、日本社会について自分の意見を述べるのに少々気が引けます。また、子供たちのことを考えたときにどこまで厳しくするのが良いのかもなかなか結論はでません。
ただはっきり言えるのは、子供を叱る大人が減って来たのは悲しいことだということ。そしてそれは僕たち大人の責任なのでしょう。僕も反省します。
はじめまして。
TSUYOSHIさんのHPを見ていて興味のある日記があったので読ませていただきました。
「はっきり言うと、落書きで停学にするとか、監督を解任するとか、やりすぎです。
日本人はものごとの重みのバランスが取れていないと思います。落書きは浅はかな行為ですが、口頭注意で十分です。」
私も同意見です。
こういった落書きは大目にみろよ!とは思いませんが、あそこまでの報道と処分には年々日本が息苦しい国になっていくなという気がしています。
ああいう行為、しかも本人たちが悪意を持ってやったとは思えない行為に対してはまず口頭注意で本人の反省を促すのが順序だと思うんです。
日本も私の子供の頃はもう少し寛容な社会だったと思いますし、なぜ年々あれはダメ、これも悪いこと、と許容範囲を狭めて行くんだろう?と。
叱られて本人が自分の行為を反省し、その後はやらないようになればそれで良いのではないでしょうか。
それが逆に全国でいきなり報道され、報道だけを見て怒った人たちから犯罪者扱いをされたら本人が相当精神的に強くなければ、極端に言えば人間不信になってしまうのではと他人事ながら心配してしまいます。
長くなってしまいましたが、TSUYOSHIさんの日記に妙に共感してしまったのでコメントさせていただきました。
LA STAMPA2008.7.11号の記事をコピペしました。
ま、参考までに。
イタリア人にも、落書きという違法行為に立腹してる人がいるんだと意外に(?)思いました。
(2008.7.11)
ミラノ近郊に住むIT技術者のアンジェロ マンデッリさん(54歳)が、週末にローラーと塗料を抱えて壁の落書き消しに出かけるようになって10年になる。費用は全て自腹というボランティア活動だ。ミラノのチェルトーザ通り、北ミラノ鉄道の列車、駅、マンションなどの落書きをこつこつと消してきた。えせアーティストが描いた汚い落書きを消して、町をきれいにしたいという使命感が彼を支える。作業を見た人々が問題意識を持ってくれればと願っているという。塗料は5キロで25ユーロと割高だが石英入りの品質のいいものを使い、30分で高さ3m、幅7~8mのペースで元々の壁の色を塗っていく。このところ当局がセキュリティーの問題として落書きを取り上げたことや落書きに対するより厳しい罰則の適用が検討されていることは、彼にとって嬉しいニュースだ。反対に、落書きをアートと評価する批評家に対しては怒りを表し、「あんなものがアートですか?芸術はキャンバスの上に描くもの。ミケランジェロもラッファエッロも壁になど描かなかった」と語る。ちなみに最も多い落書きは、ベルルスコーニ首相批判とミラン賞賛、愛の告白とのこと。
動画サイト「youtube」で「落書き」を検索したら、まだこの話題が上位に出てきますよw
↓↓↓
http://jp.youtube.com/watch?v=bCXLqPci4OU
7月に入って、落書きをした某女子短大学生のうちの一人(落書きをしたのはこの一人だけで、あとの5人は傍観していたためと思われる)が、
短大学長とともに旅費を自腹で負担しての、大聖堂へじきじきの「謝罪行脚」に。
学長が謝罪の弁を述べる最中、この生徒が号泣し始めた。
大聖堂管理者のミトラーノ女史は彼女を抱きしめて慰めたそうな。
そしてフィレンツェ市側はこの短大生6人を「平和大使」に任命したとか!
なんたる寛大さ!
この謝罪当日が岐阜が第二次世界大戦中、大空襲に見舞われた記念日だったとのことだそうな。
ツヨシさん、これできっと一件落着ですよね、もう。
ド騒ぎは、もうごめんです。