
池田信夫氏の書いた『衰退先進国イタリア』について「これって事実ですか?」という質問があったので、僕なりに考えてみました。
まず最初に言いたいのは、イタリアの政治や経済を語る時って、多くの人がこの池田氏のように「ちょっとバカにする」書き方をしますね。イタリア好きとしては少々腹立たしく、イタリアのニュースでも日本のことを小馬鹿にしながら文化やトレンドなどを紹介されるとムカッと来るのと同じです。
さて本題に戻ります。
政治、経済、教育などの状況などがイタリアと日本とで似ているというのは、なかなか判断が難しいでですが、傾向は似ていると思います。でも自殺率についての『これはカトリックなので自殺の禁忌が強く、自殺を事故として申告するバイアスもあるが、なんといってもベルルスコーニに代表される脳天気な国民性が大きい』というのは違うと思います。
やはりカトリックという要素が一番大きいでしょう。イタリアでは生きることがいくら辛くなっても「命を絶つ」という選択肢はないと思います。「自殺するくらいなら・・・」という考えも持っていないでしょう。『脳天気な国民性』だからではなく、「自殺」そのものが彼らの考えから隔離されていると思います。
イタリアの政治はここ数年ずっと迷走していますね。これはベルルスコーニの奇行によるところが多いと思います。また『「ずるい」タイプが尊敬され、正直者がバカにされるのがイタリアの国民性』というのも、その通りでしょう。
『しかしみんな明るく、男はいつもナンパしているし、女は果てしなくおしゃべりしている』というのは、いかにも日本人の脳に焼き付いているイタリア人のイメージをそのまま書いたような言葉で正しくないと思います。日本人と比べれば明るいですが(これは逆に日本人が大人し過ぎるとも言えます)、男性はいつもナンパしている訳でもなく、女性のおしゃべり好きはどの国も大差ないように感じます。
最終的に池田氏は『イタリア人のいい加減さを見習って、貧しくても楽しく暮らす習慣を身につけるのが、日本人の最大の課題』とまとめていますが、それと同時に「生きることの喜び」を見つけることも大切だと思います。イタリアの政治は日本と同じく混乱気味ですが、でも若者の政治への関心はとても高く、抗議集会や運動も頻繁に行われています。逃げずに立ち向かう、そういう姿勢がイタリア人には強いように思います。
【2010年12月2日 堂 剛 - Tsuyoshi Doh】(写真:Civita di Bagnoregio)
私もイタリアが大好きですが、よくイタリア人のいい加減さが話題になりますが、もし本当にそんなにいい加減だったら、あんなに美味しい食事やお洒落なセンス、人生を楽しむ達人にはなれないのではないでしょうか。
それはイタリア人が生きることを楽しむ達人だからこその特徴だと思うのです。
カンターレ(歌う)、マンジャーレ(食べる)アモーレ(愛する)それって人生の最大の楽しみだと思います。
私はそんなイタリア人の生き方が大好きです。
それって私の生き方と一致するからです!
つよしさんもそんなイタリアが好きだから、イタリアを選んで住んでいるのでは・・・?
私も将来イタリアの田舎に数ヶ月住んでみたいです。
楽しむという事が苦手な国民性だった日本人からだと、それが能天気という見方になってしまうか、批判的な人だとそう捉えた(上から見た)見方にして結論づけるほうがラクなのかもしれませんね。
この件ではないのですが、この前の「家族の幸せと自分の幸せ」を読んで思いました。
内容もその時々の時事ネタも、書くのってとても難しいでしょうに、ツヨシさんのブログは素直で(偉そうでごめんなさい)暖かくて、人間性に溢れているいる感じがしてとても好きです。
心の内をストレートに書けるってとても勇気あると思いますし、親近感を持ちます。
人間が一番強くなれるのは、自分のためではなくて一番守りたい人のためですよね。
家族って最強単位ですよね。
前から家族にはとても感謝していて大好きだけど、最近は何か自分がして、親の笑顔を見るとものすごく幸せに感じます。
子供の頃と違う意味で、何をしたら喜んでくれるだろうって思うようになりました。
きっとこれが年月なんでしょうね〜
考え方って変わっていって変化して、だから面白いんでしょうね。自分でも自分がわかっているつもりで、わかってなかったり。
なんだかまとまってませんが、ツヨシさんのブログ、応援しています。
イタリア人の「脳天気でいい加減」というイメージ、それは嘘ではないとは思いますが、一方で、これは美術品とか工芸品、またはそれが出来るまでの行程などを見て感じることなのですが、単調でしかもはてしなく時間と手間の掛かる作業を黙々と続ける辛抱強さを持っている、それもまたイタリア人だな、と思います。堪え性に乏しいわたしは、驚嘆するばかりです。人生を楽しむ達人、というところも、逆の見方をすれば人生の辛さを良く知っているからこその強さのような気がします。「ずるいタイプが尊敬され、正直者がバカにされる」というところについてはハッキリ言って大嫌いですが、それも、長い歴史の中でそうならなければ生き残っていけなかった過酷な状況がイタリアの人たちにはあったんだろうな、となんとなくですが想像出来ます。それは戦後の平和な日本でのほほんと育ったわたしたちの価値観だけで測ってはいけないのかもしれない、とも思えます。それに振込みサギみたいな犯罪が横行する昨今、「日本人は違います!」なんて言えなくなってきていますし...。イタリア人にしろ日本人にしろ、全部が全部そういう人ではないと思いますし、お互いを理解しあうことで誠実な付き合い方が出来ればいいなぁ、と思います。
自分たちの知らない部分については、メディアが作り上げてそこから情報を得ているところも大きく影響しますよね。自国で、外国についてすべてを報道するわけではないですし、個人の見解でお話をする人も多々いると思います。
だから自分の見る目を養うというか、気になる事柄については自分自身で見聞を広めていくのも大切ですよね。
先日、英国やイタリアで大学授業料の値上げ反対のデモがありましたが、少し羨ましく感じます。
自分たちの社会のために行動するっていう姿勢・・今の日本にはないですよね。というか私にかな?尻込みしちゃうんですよね、何故だか。
以前、自宅の前でガッチャーンって音がしたので、すっ飛んで行ったら小学生たちが自転車で通っていて、そのうちの1人が転んでました。
「大丈夫だった??」と尋ねても、不思議そうな顔をして見てくるだけで返事無し。
完全に不審者扱いされたようで・・知らない人に声を掛けられたら怪しむようにと教えられてるんでしょうね・・
何を言いたいかというと・・日本という国は「生きることの喜び」を感じるには、生きにくい国になってきているのかなってことです。
☆トルナトーレ監督の「シチリア!シチリア!」という映画(原題はたしかBaaria!)見られましたか?もし見てましたらツヨシさんなりの感想聞かせてくださいな♪
イタリア人は憎めない奴が多いですよねぇ〜。ぜひ田舎に数ヶ月住んでみてください、新たな発見と出会いがたくさんあるかも。楽しいですよ。
> きゅさん
僕のブログはなるべく虚勢を張らずに書きたいなと心がけています。ま、それでも自分の身丈以上のことを書いてしまうこともありますが。「人を守るために生きる」というのは僕はまだ経験ないかも。両親も元気で子供もいないからでしょうが、きっと大きな責任感が生まれることでしょうね。
> KAZさん
たしかにイタリア人は「いい加減で脳天気」、良く言えば「おおらか」ですよね。ずるい人が得をする世の中はなんだか疲れますよね。僕もイタリアに来てずいぶんとフルボ(ずる賢い)になってしまいました。。。
> tomoさん
おぉぉ「Baaria」見たかったのですが、見逃した映画です。すっかりと忘れていました。ブログのネタにも困る毎日なので「ナイスアドバイス!」です。もう販売されているそうなので、さっそく今日明日にでもDVD買ってこようと思います。見終わって消化できたら感想書きたいと思います。ありがとう!!!
イタリアといえば私にとっては最近6万円を出して買ったアルマーニのジャケットです。デザインは最高ですが、縫製が雑なのが難点なのです。それでも着心地は最高です。
それがイタリアというものなのかと思っています。
「生きることの喜び」を見つけることも必要ですよね。
つよしさんの意見に賛成です。
自殺率の話にしても、やや偏見じみている気がします。
確かにカトリックの国ですが。
自殺、という発想自体一般的ではないですよね。
宗教の「意味合い」というものが日本よりも深く、重みがあるのは間違いないですが。
それだけではない、と私も思います。
文化の違い、というものを念頭に置き、その違いを述べた上で、こういった議論をするほうが良い気がするのですが。
いまだにイタリア男はいつもナンパしていて、とか公の場で書かれているのには、いささか辟易してしまいます。
イタリア人女性は果てしなくおしゃべり、というのも女性蔑視、とバッシングされそうですけれど。
人生の中で何に重きを置くか、その決断が明確だからこそ、人生を楽しめるのだと思います。
良くも悪くも個人主義が貫かれている。
イタリアだけでなく、ヨーロッパでその傾向があると思いますが。
貧しくても楽しく暮らす、それには心の豊かさが必要かな、と思います。
いい加減だから、貧しくても楽しく暮らせる、というのは違うのでは、と私は思います。
それでは。
誰でも、皆、悩みは持ってるし。でも、家族との濃密な関係(良い意味で)の中で、解決していったり、皆、本当に家族を愛しているし。そんなところは、カトリックの影響があるのかもしれません。
私は、バリバリのbuddistaなのですが、信仰を持って生きていくことは良いことだと思います。
でも、若者は教会とかにはいかないか・・・
人生を楽しむことの上手な人種、だということは確かだと思います。
そして、子共の個性を大事にするのが上手。褒めて、伸ばす感じがします。
だから、イタリアの女の子は皆、お姫様なのだ。(個人的な意見)
なるほど「イタリアの女の子はお姫様」ですか。確かにイタリア人は褒めるが上手ですよね。こそばゆいほど、なんでも褒めますよね。良いことです。
しかしそれは置いといて、イタリアやまた私の住むオーストリアで一番気に入ってるのは、人間が杓子定規でないことです。例えば「時間を守らなければいけない」ということだって、別の側面から見ると、個人的事情やそのときの状況などの都合はお構いなしで時間を守ることだけを重視されるということですが。少し又はかなり規則やある組織の原則から外れたことでも、個人の都合等でどうしてもやむをえない理由があったりするときに、話せば分かってくれたりすることが多いのは、日本人の目から見たら「いい加減」としか移らないんでしょうか。とはいえ、電車などがしょっちゅう遅れるのには何年経ってもなれないし、ジレンマです。
上に書いたようなことは、映画などによく再現されています。例えばフランス映画ですが一番大好きな「アメリ」で、主人公が意地の悪い隣人宅に侵入し、密かにいろいろといたずらをするのですが、かなり多くの日本人が「アメリは犯罪を犯してるし悪意がある。気に入らない。何でこんな映画が人気あるのか。」というような反応を示したらしいのには、ショックというかうんざりしてしまいました。あの程度のことを「犯罪」だの「悪意」などという人間は、少なくとも南のほうの欧州ではほとんどいないと思いますが・・・・。
長く居るからイタリアが良く理解できているとは思っていません。
感性の起伏に多情な方は20年の歳月よりも
短期間でイタリアの政治、文化、国民性を
いち早く察しするでしょう。
長く海外にいても日本国の背中を追い続ける方もいらしゃるでしょう。
私自身が感じますイタリア国に関しての見解はイタリア人が陽気だとかズルイとか日本人は真面目で勤勉とか多種多様な言い回しで両国に付いて語られていますが、木に例えれば幹の話が基本で在って枝から葉に分かれる討論では本当のイタリアと日本国間の相違に付いての真髄を討論するのは難しいと私は思いますが、、、
私自身の見解はイタリア在住3年後にイタリアに対して嫌悪感を感じていました。
これは生活環境等の違いなど多々あると思いますが。
5年過ぎ10年頃になりますと日本人及び
日本国の不条理を感じる様になりました。
10年後から現在20年近く在住していますとイタリアから日本国を日本国からイタリアを見識するのではなく自分自身の生き方に
どれでけ両国を把握出来たが重要だと最近ですが感じる様になりました。
イタリア国も日本国も両国とも良い点、悪い点は勿論あります。
両国の良し悪しを浄化した中でユーモラスを
交えて両国の討論会など出来れば楽しいと思うのですが、、、、、、
又、何かの機会が在りましたら記載させて頂きます。
ARRIVEDERCI
これは正しい。現実は、イタリア人はそれほど人生を楽しんではいない。金がない。けちで金を使えない。男は金を使わずナンパする。いかにずるく金をつかわずナンパをするか。がイタリア人。教養がない。見栄っ張りの国民性と、ウソはあたりまえにつく。なかなか真実を日本人はつかめない。イタリア人がよく見えてしまう。日本でいう中流以下の家庭がイタリアでは上流に相当する。生活レベル、教育レベル、物事の価値観を含め。ラテンの血ゆえパッションがあり、このパッションが続く限り、ある程度のことはこなせるが、パッションがなくなると途中中断。このサイクルがイタリア人のいい加減さを作り出している。全体の8割が人間性のレベルが低い。
アメリカが東京でヨーロッパが地方都市と考えれば分かりやすいかな?
地方で優秀な人間はみんな東京へ行っちゃうでしょ。
仮に日本だって、一流大卒の人間がみんなアメリカや中国に移住してしまったならイタリアみたいになってしまうでしょう。
イタリアは近代経済に乗り遅れて没落して這い上がれなくなった、歴史の進歩の舞台から淘汰された、という説と、経済のシステムや主体が変わっても芸術を作り続ける歴史的役割を担ったと確信してやまない人々と・・・
激動の歴史をくぐって今のイタリアができるまでには、誰がどう見ようと血のにじむような努力があったはず。
イタリアを悪く言う人たちは、それならばイタリアと同じ条件の下で自分一人の努力で今の日本を作り上げたのでしょうか?
日本には、正直者を馬鹿にしている狡賢い人は一人もいないのでしょうか?そういう人をまったく忌み嫌ってきた国がここまでの経済成長を遂げるとも思えません。